広島大本営
今回は広島県広島市中区に残る「広島大本営跡」だべ
今は基礎のみが残ります!
1894年、日本と清国との間で「日清戦争」が勃発しました。
この戦争の指揮を行うため、軍の最高権力者である天皇が東京から広島へ移ってきます。
「なぜ広島なのか」というと、当時の鉄道路線の最西端が山陽鉄道の「広島駅」で戦地に一番近く、軍が使用できる大規模な港「宇品港(現:広島港)」があったことから、広島城内に大本営が移ってきます。
日清戦争終了後、天皇率いる大本営が再度東京へ移った後も建物などが残されていましたが、原子爆弾「リトルボーイ」が投下されると爆心地から900mと近い場所にあった広島大本営跡の建物は崩壊してしまい、現在では基礎のみが地面から露出する状態で残されています。
当時の広島は全国で6つあった鎮台(東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本)の中のひとつがあり、以降は軍都として陸軍施設が多く建てられることになります。
広島での大本営の拠点であった「広島大本営」は、元々は1877年に建てられた「広島鎮台司令部(後に第5師団司令部)」の建物を流用しました。
建物は洋風2階建てであり、1階に大臣室・侍従職室・2階に御座所・御召替所・侍従長室・軍議室があり、明治天皇は執務室と寝室を兼ねた御座所で暮らします。
また明治天皇の皇后である昭憲皇太后は、広島大本営西側にあった第5師団司令部監査部の建物を昭憲皇太后御座所として暮らしました。
明治天皇が広島へ滞在している間、広島が首都としての機能を果たしていました。
1894年10月の「第7回帝国議会」も広島で開催されています。