黒しばわんこの戦跡ガイド

うえのドイツ文化村内にある「タカシカバーの機関銃壕」

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タカシカバーの機関銃壕

名称 タカシカバーの機関銃壕
住所 〒906-0203
沖縄県宮古島市上野宮国
解説 宮古島南部にあるうえのドイツ文化村内の海岸に残っている機関銃壕。
石灰岩質の地形を掘りぬいた壕に銃眼が開けられている。
難度
✖(埋められている)



今日は沖縄県宮古島市上野宮国にある「タカシカバーの機関銃壕」だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
うえのドイツ文化村の中にあります!

沖縄県の宮古島南部に「うえのドイツ文化村」というテーマパークがあります。
西洋風の建物と城が海沿いに建っている場所で、かつて近海で座礁したドイツ商船を島民が救出したことをきっかけにつくられました。
城の背後にはすぐに海があり、岩礁の中に「タカシカバーの機関銃壕」がありました。
現在は誤って入らないように入口は塞がれているようです。

タカシカバーの機関銃壕

この壕は、うえのドイツ文化村の南側の海岸沿いに広がる岩の突堤にあり、壕の真ん中には石灰岩をえぐって機関銃を据えたと思われる台座が残っています。
この台座に銃の軸を差し込んで安定させ、三脚で固定して目標物に照準を合わせたのではないかと考えられています。

✅独逸商船遭難の地碑

✅平和の鐘

✅R.J.ロベルトソン号と宮古島

テーマパーク内にはドイツ商船遭難之地碑などの碑が建てられています。

ドイツ商船「R.J.ロベルトソン号」は中国から貿易品を積んでオーストラリアに向けて航行中、台風に遭遇してしまいマストが損傷、10名の乗組員の内2名が死亡して漂流しますが現:うえのドイツ文化村付近である上野宮国沖で座礁してしまいます。

海を監視していた遠見番役人が座礁船を発見、台風後の荒れた海上の中を島の漁師らが数日かけて救助・保護しました。
船長他乗組員は元気になりましたが台風によって帆船は使用不可能となり、なんとか台湾か中国を経由して帰国させてもらえないかと船を要望します。
役人は「ロベルトソン号の遭難について」「船長の要望」を伝える為に、首里に使いを送り返答を待ちましたが返事が返ってきません。
やきもきする中、船長は港に停泊している帆船を貸していただけないかと頼みます。

この停泊していた船が王府から許可が下り次第貸す予定の船でしたが、未だに王府からの返答が届いていません。
役人は悩んだ末に独断で帆船を貸しだすことにし、救助から約一か月後にドイツへ帰国することができました。

ドイツに帰国した船長が新聞にて宮古島での出来事を発表し、多くの人に知られることになりました。
遂にはドイツ皇帝のヴィルヘルム1世の耳にも入り、宮古島の島民の博愛精神と行動に感動し、事件から3年後の1876年に軍艦を日本へ派遣します。
ドイツ軍艦は横浜を経由、宮古島に来島して博愛精神を賞賛する記念碑が設置されました。

✅博愛記念館

パークの中央にあるお城が「博愛記念館」です。
ドイツのブラウバッハ市にある古城「マルクスブルグ城」を公式な見取り図を元に原寸大で再現してあります。

ハチ公
ハチ公
西洋風どころか、全く同じ城がドイツにあるんですね!

 

✅タカシカバーの機関銃壕

パーク内は遊歩道が整備されています。
遊歩道によって博愛記念館の裏付近に行くことができ、タカシカバーの機関銃壕の案内が設置されています。
現在は誤って入壕しないように入口は塞がれているようです。

 

✅壕内(看板より引用)

タカシカバーの機関銃壕は自然壕の一部を掘削して構築されました。
自然壕の一部に幅0.5m,高さ1m,長さ約5mの壕を構築し、南東に向けた銃眼もあけられています。
平らに均された底面には機関銃を固定するための直径約20㎝の台座がある。
また、明り取りのための燭台置き2つの小部屋が壕内に構築されています。

【沖縄県戦争遺跡詳細分布調査Ⅴ宮古諸島編】参照

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ポチ太郎

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戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
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