黒しばわんこの戦跡ガイド

那覇市金城に残る高射砲陣地跡「がじゃんびら公園」

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名称 がじゃんびら公園
住所 〒901-0155
沖縄県那覇市金城1丁目
解説 那覇市金城にある東西に細長い公園。西の端に美空ひばりの歌碑がある円形の広場があり、かつては日本軍の高射砲が置かれていた。台地にあるので那覇軍港や三重城跡、那覇空港方面まで望める。地元民からは「霊が集まる場所」とも言われている。 難度
B (行きやすいが駐車場が無い)



ポチ太郎
今日は沖縄県那覇市金城にある「がじゃんびら公園」だべ

ハチ公
高射砲が置かれる程、今も昔も景色がよい場所です!

那覇西高校と奥武山公園の間に「がじゃんびら公園」という東西に長い公園があります。
「がじゃんびら」というのは奥武山公園付近の「垣花」から、自衛隊の駐屯地である「安次嶺」付近まで続いている坂の名称で、「がじゃん」は蚊、「びら」は坂の方言です。
坂にあるので公園内も坂道や階段がかなり多く、遊具はほとんど無いので子供よりもウォーキングに利用している方が多いです。
そんな公園の西の端、安次嶺側の高い場所に円形の広場があります。
この場所には日本軍の高射砲が据えられていました。

ガジャンビラ(那覇市垣花町3丁目)

那覇垣花(なはかきのはな)から小禄安次嶺(やろくあしみね)にいたる坂道の名称。付近一帯を指す地名にもなっている。琉球王国時代、中国からの使節(冊封使)は、この地をさして『儀間山(ぎまやま)』・『筆架山(ひつかざん)』と記しているが、1877年(明治10)刊行の『沖縄志』(伊地知貞馨著)の那覇港図には、『蚊坂(ガジャンビラ)』とあり、ガジャンビラと呼ばれていたことがわかる。 名称の由来は定かではないが、『南島風土記』(東恩納寛惇著)は、坂の付近に住む人名または屋号をとって、『我謝の坂(ガジャヌヒラ)』から転訛したものではないかと記している。一方、那覇の民話は『昔、中国から持ち帰ってきた蚊が、この坂の上で逃げてしまい、ここから琉球国中に広まった』と、伝えている。 1905年(明治38)に始まった垣花と糸満(いとまん)村を結ぶ県道工事により、ガジャンビラの坂道は整備され、1918年(大正7)には馬車軌道も敷設された。坂の両側や付近の丘陵には松が生い茂り、また、坂の頂上からのすばらしく、眼下に見下ろす那覇街並みは、絵画や絵ハガキの題材にもなっている。 沖縄戦の後、坂一帯は米軍基地となったが、1972年(昭和47)の日本復帰後、ガジャンビラを含む旧県道は、那覇糸満間の幹線道路国道331号線として整備された。1984年(昭和59)には国道331号線山下高架道開通により、ガジャンビラの一部は旧道となった。

2003年3月 那覇市市民文化部歴史資料館

✅高射砲が据えられた場所

特に高射砲に関する遺構はなく、何も知らなければただの広場です。
周囲を見てみると、垣花台地にあるこの公園からは東の那覇軍港、北の三重城跡、西の那覇空港まで見渡すことができます。
昔は現在のように高い建物は無いので、さらに遠くまで見渡せたことでしょう。
高射砲が置かれた理由も分かりますね。

✅ガジャンビラ公園から見た那覇軍港

この広場にひっそりと据えられている碑があります。
「美空ひばりの歌碑」です。

✅美空ひばりの歌碑

花風の港
作詞:西沢爽
作曲:猪俣公章

赤いさんごの波散る島を
何であなたはすててゆく
出船ほろほろ花風(はなふう)の港
紅の手さじを前歯で噛んで
しのび泣くのも 恋のため

碑の前に立つと音楽が流れだすサウンドセンサーと書いてありますが、実際に立っても何も流れませんでした。

上記の広場の他に、小さい円形の休憩所もありました。
ここにも何か置かれていたのでしょうか。

✅心霊スポット??

ちなみにネットで調べてみると、この公園は心霊スポットと言われているようです。
また、職場の人との会話

ポチ太郎
がじゃんびら公園行ったんすよー

職場の人
マジかよ、よくあんなとこ行くなー

ポチ太郎
高射砲陣地あったみたいだから行きたかったんすよ(笑)
あそこ、なんかあるんですか?

職場の人
いや、あそこ幽霊いっぱいおるし

ポチ太郎
マジすか、じゃあまた行こ

職場の人
お前、やっぱヤバい奴やなー

地元民からもそういう場所と認識されているようですね。
確かに木に覆われて不気味なところもあったし、亀甲墓が隣接してる所もあったけど、まぁ昼間に行けば問題ないはず!

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ポチ太郎

ポチ太郎

戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
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