砲兵工廠荷揚げ門
名称 | 砲兵工廠荷揚げ門 | |||
住所 | 〒540-0001 大阪府大阪市中央区城見1丁目3−3−2 |
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解説 | 砲兵工廠への荷物を水運に頼っていた時代に使用された水門。 天井に滑車がついており、小型の船はそのまま陸揚げできるようになっていた。 |
難度 | ||
A |
今日は大阪市中央区に残っている「砲兵工廠荷揚げ門」だべ
ポチ太郎
ハチ公
大阪城ホール裏手にありますね!
大阪城ホール裏手に第二寝屋川という川が流れています。
この川沿いに石造りの水門があります。
この水門は、かつて存在した「大阪砲兵工廠」への荷物を搬入していた時に使用していた水門跡です。
大阪砲兵工廠は、太平洋戦争終結まで大阪城東側に存在していた日本陸軍の軍需工場です。
生産物は日本軍が使用する大口径の重火器で、アジアでも最大規模かつ日本国内ではトップレベルの技術・設備を誇っていました。
終戦前日の1945年8月14日には、大阪砲兵工廠をターゲットとした大阪空襲が行われ、焼夷弾や1トン爆弾によって設備は殆ど壊滅しました。
✅砲兵工廠荷揚げ門
明治初期、大阪砲兵工廠の前身となる「大砲製造所」が生まれました。
1879年に改称され大阪砲兵工廠となりました。
当時の荷物の搬入・搬出は水運に頼っている状態であり、その時に使用されたのが「砲兵工廠荷揚げ門」でした。
荷揚げ門にはスロープが付けられ、天井についた滑車を使用することで小型の船は工場内にそのまま陸揚げすることが出来ました。
現在、荷揚げ門の横か、川の対岸から門を見ることが出来ます。