黒しばわんこの戦跡ガイド

那覇市山下町に残る「垣花陣地壕」

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垣花陣地壕

名称 垣花陣地壕
住所 沖縄県那覇市山下町
解説 垣花丘陵内に残る陣地壕跡。
入口には碑があり、内部には崩落もみられる。
難度
D(丘陵内に放置)

今回は沖縄県那覇市山下町に残る「垣花陣地壕」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

所在地は那覇市金城かも!?
ちょうど間くらいなんです!

那覇西高校と奥武山公園の間に「がじゃんびら公園」という東西にのびる細長い公園があります。
園内は坂道や階段が多く、ウォーキングに利用している方が多い場所です。

「がじゃんびら」というのは奥武山公園付近の「垣花」から、自衛隊の駐屯地である「安次嶺」付近まで続いている坂の名称で、「がじゃん」は蚊、「びら」は坂の方言です。
がじゃんびら公園の西の端には、円形の広場があります。
かつて、この広場には日本陸軍の「独立高射砲第27大隊」が使用していた高射砲が据えられていました。
また、丘陵内には先の戦争中に使用された陣地壕も残されています。

陣地壕入口
碑と壕内

道の無いジャングルの中にかつての陣地壕が開口しています。
入口前には碑が建立されています。

垣花陣地壕内部図(適当)
入口から少し下ります
入口から10m地点で通路は崩壊しています。

匍匐前進でギリギリ進める隙間を進みます。
3~4mほど匍匐前進すると手掘りの壕が広がります。
多くの場所に水が溜まっているのが分かります。

瓦礫を抜けると…
逆方向から撮影
横穴も壕内各所に掘られています。
この穴は入口は1mも無く、内部も狭いです。
坑木を設置していたと思われる痕跡
壕内には天井が崩落した場所もあります。
泥っぽい雰囲気なので、この付近の地質は島尻泥岩でしょうか?
壕内に残る戦争の記憶
「岐」という字が書かれていたので、岐阜県内で製造された統制陶器でしょうか?
その他

「統制陶器」は、政府が管理された陶器号です。
有名どころの窯元をはじめ、この陶器に書かれた「統制番号」を見ると製造場所が分かるようにされました。

入壕して崩落部分を越え、T字路部分まで来ました。
壕内は途中で枝分かれしています。
T字路部分を右に行ってみます。
右手に進んでからT字路方向を撮影。
右手奥にある通路。
ぬかるんでかなり歩きにくい。
この通路の幅は1m程、高さは1.9mで余裕がある。
通路の奥は崩落していました。
崩落というより、土地開発で埋められた?
通路の入口にあった軍靴の残骸
T字路部分まで戻り、左に進んでみます。
T字路まで戻ってきました。。
天井に延びている鍾乳石(ストロー)
通路横に掘られた横穴。
先ほどの穴よりはるかに大きく、人が2~3人入れそう。
通路に置いてあった物体。
バッテリーっぽい雰囲気で、手のひら大の大きさだが結構重量がある。
針金が巻かれた木材の跡。
戦中の物かは不明。
水没部
膝下くらいまでの水位があります
15mくらい進むと水没部を抜けます
広かった通路が再度狭くなります。
水没部を越えて、再度狭い通路に入ります。
溶けだした石灰成分が床面に広がって固まっています。八重瀬町のメーヌスンダガマと同様、なかなか綺麗です。
ライトに照らされ輝く床は緩やかな上り坂
軍靴の残骸
ビン類は床の石灰分に埋まって固まっています。
この場所に長い間放置されていたことが分かります。
通路の左右には横穴が増えてきます。
横穴は大人が余裕で横になれる程の大きさがあります。
この横穴には、内部に更に掘りこみがあります。
横穴の中に軍靴の残骸がありました。
この横穴の内部にはこれでもかという程に釘が打たれています。
壕を掘った時のツルハシの跡
そろそろ土砂の流入が激しくなってきました。
横穴内部
どの横穴も綺麗に掘りこまれています。
ランプなどを置いた窪み。
周囲の壁面に比べ、やや黒く煤けています。
大日本麦酒株式会社(大日本ビール)のビンがありました。1906年から1949年まで存在したビールメーカーでしたが、戦後の財閥解体のあおりを受ける形でアサヒビールとサッポロビールに解体されました。
ここで行き止まりです。
栄えている那覇市内にある割には、かなり広い壕でした。

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ポチ太郎

ポチ太郎

戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
博物館・資料館好きが高じて、国家資格の学芸員を取得しました🐶✨
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