名称 | 沖縄陸軍病院24号壕 | |||
住所 | 〒901-1113 沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武300 |
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解説 | 20号壕の向かい側にある壕跡で、現在は崩落していて中は見えない。当初はひめゆり学徒隊の待機所として使われていたが、後に患者の病室に利用されるようになった。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
南風原町に黄金森という丘陵地があります。
この場所にはかつて沖縄陸軍病院壕が存在していました。
もともと沖縄陸軍病院は現:南風原小学校の位置にあった「南風原国民学校」の校舎を使用していました。
しかし、校舎が空襲により焼失したことから黄金森内に用意していた防空壕群に病院機能を移します。
次第に増えていく負傷兵を軍医や看護師、看護補助要員である「ひめゆり学徒隊」は看病しますが、物資や薬剤の不足であったり、沖縄守備軍の南部撤退が決定打となり、病院壕が放棄されます。
壕から出ていく際に、重症の患者については青酸カリを混入したミルクを飲ませてから壕を離れたという話もあります。
また、壕内を見てみると壁が黒く焼け焦げた部分もあることから、米軍による火炎放射攻撃があり、青酸カリによる自決をしなくても投降しない限りは生き残ることは難しかったと考えられます。
✅沖縄陸軍病院24号壕
沖縄陸軍病院24号壕(第一外科壕群)
24号壕は貫通していない未完成の壕です。
当時はしずくがしたたり、中がぬかるんでいました。
「ひめゆり学徒隊」70~80人の待機所となってからも壕の奥では壕掘り作業が続き、落盤の危険があったのです。
酸素が減ってロウソクの炎が消えそうになると、上着やフロシキ、毛布などをふって空気をいれかえました。
1945(昭和20)念4月末には、患者の病室として使用することになりました。
現在の24号壕は、幅が床面1.8m、天井部1.6m、高さは1.8mで、側面には約90㎝おきに坑木を立てた跡があります。
中に入って約32mほぼまっすぐに進み、左に曲がると4mほどで行き止まりです。
しかし、そこから23号壕に降りる幅1mの狭い通路が掘られています。
現在の出入り口は、崩れてきた天井の土によって高い位置になっており、本来の出入り口はもう少し前方にあったようです。
✅隣接する碑
付近には「憲法九条の碑」・「鎮魂と平和の鐘」・「鎮魂の歌碑」が建てられています。