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石垣市崎枝に残る「電信屋跡」

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海底電線陸揚室(電信屋)

名称 元海底電線陸揚室
住所 〒907-0452
沖縄県石垣市崎枝
解説 1897年に領有する台湾と日本本土を海底電線で繋ぐために建てられた。
沖縄本島の読谷村渡久地にも「電信屋の碑」がある。
太平洋戦争中によって周囲の建物は大破したが、電信屋跡は崩壊せずに残り、壁面に多くの機銃掃射痕が残る。
難度
A



今日は沖縄県石垣市崎枝にある「元海底電線陸揚室(電信屋跡)」だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
市街地からは離れた場所にあります!

日清戦争が終結した後に締結された講和条約「下関条約」により、清から「台湾」を割譲した日本は台湾と日本本土の間に軍用海底線を敷設しました。
鹿児島~沖縄本島~石垣島を経由して、1897年には台湾まで海底電線が敷設されています。
その中継場所として選ばれたのが、石垣島のこの場所「元海底電線陸揚室(電信屋)」です。
また、沖縄本島の中継地は読谷村渡久地となっており、渡久地にある泊城公園近くにも「電信屋の碑」が建立されています。

「元海底電線陸揚室(電信屋)」は石垣市市街地から北西にある半島の中にあります。
車なら30分から40分くらいで到着でき、大崎牧場近くに電信屋に続く農道があります。
付近に駐車場がありませんが車はほとんど来ない大き目の道なので邪魔にならない場所に停めるか、電信屋付近まで乗り入れることになります。
電信屋に行くまでに木が茂っているので、車が傷つくかもしれないので道に停めるのが無難です。

✅電信屋に続く農道

石垣牛?が出迎えてくれます。

電信屋まで歩いて6~7分だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

✅元海底電線陸揚室

元海底電線陸揚室

石垣市史跡
昭和61年9月25日指定

俗にデンシンヤー(電信屋)と呼ばれているこの元海底電線陸揚室は、1897(昭和30)年に建てられたもので、沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた所である。
1895(明治28)年の日清戦争終結後、日本のその領有するところとなった台湾との間に軍用海底線を敷設する必要が生じたことから、1896(明治29)年、まず鹿児島と沖縄本島との間に、ついで翌97(明治30)年、石垣島を経て台湾との間に海底線を敷いた。これによって本土-沖縄本島-石垣島-台湾間の通信施設が完成したのである。なおこの年、石垣・西表間にも海底線が敷設された。
開通したこの海底電信線は、当初陸軍省が管理していたが、のち逓信省に移管され、一般公衆用通信にも共有された。明治30年のことである。この年、石垣島では大川12番地に八重山通信所が設置され、一般公衆電報取扱いが開始されている。なお、太平洋戦争の際には連合軍の攻撃目標となった。無数の弾痕がこれを示している。
なお、この地域で無断で現状を変更することは市条例によって禁止されています。

昭和62年10月
石垣市教育委員会

✅外壁に残る弾痕

✅内部

風化によるものか、内部の鉄筋がむき出しになっている場所もあります。
レンガ積みの上に漆喰とセメントでコーティングされています。

部屋の片隅にはトイレがあります。
外には汲み取り用の穴も現存。

建物の南側、海岸側には建物を防護するための石積みがあります。

✅電信屋記念碑

✅関連書籍

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ポチ太郎

ポチ太郎

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