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国頭支隊本部壕
名称 | 国頭支隊本部壕 | |||
住所 | 〒905-0222 沖縄県国頭郡本部町並里 |
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解説 | 八重岳に残る人工壕。 伊江島と本部半島に配置された国頭支隊の本部壕。 隊長の宇土武彦大佐から宇土部隊とも呼ばれる。 |
難度 | ||
C |
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今日は本部半島の八重岳に残る「国頭支隊本部壕」だべ
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ポチ太郎
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ハチ公
この場所は何度か取り上げてますね!
沖縄県の本部半島にある八重岳に「国頭支隊本部壕」という人工壕が残っています。
国頭支隊は、沖縄戦時に本部半島と伊江島の守備を担当した独立混成第44旅団第2歩兵隊の事で、隊長の宇土武彦大佐であることから「宇土部隊」とも呼称されます。
この部隊の本部壕が八重岳中腹に残っています。
宇土部隊は主に大分・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄出身の将兵で構成されています。
編成は、歩兵隊本部・3歩兵大隊・1歩兵砲中隊・1速射砲中隊に加えて、スパイ養成機関の陸軍中野学校出身の将兵が率いる護郷隊(第1遊撃隊・第2遊撃隊)も含まれました。
護郷隊は鉄血勤皇隊と同程度の年齢で10代の男性で編成され、主にゲリラ戦を行いました。
✅国頭支隊本部壕
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国頭支隊の本部壕は、八重岳野戦病院とは沢を挟んで反対側にあります。
壕口はかなり狭く、1mもありません。
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狭い壕口から1mくらい急な下り坂になっています。
✅壕口からの下り
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結論から書くと、壕口から下り・上り・下り・上り・行き止まりといった感じになっています。
人1人分の幅で高さは1m程が行き止まりまで続きます。
✅最初の登り
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✅下り
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緩やかに右にカーブしながら下ります。
✅壁面
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行き止まりを除き、あまり崩落は見られません。
✅下りと登りの中間
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✅最後の登り
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✅行き止まり
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現在は崩落してしまったからか、全体的に見ても全長10mもないくらいしか残っていません。
1945年4月11日から16日まで米軍の艦砲射撃と進撃を受け、八重岳の頂上も占拠されてしまいます。
そのため、現在「清末隊陣地壕」が残っている真部山や八重岳を放棄し、名護市東部にある多野岳まで後退して遊撃戦へと移行しました。
後退の際に沖縄陸軍病院八重岳分院にいた自力で歩けない負傷兵は置いていかれたようです。
米軍による、八重岳に残った残存兵の掃討線はしばらく続きました。