喜屋武シジ
今回は南風原町喜屋武に残る「喜屋武シジ」だべ
以前はガイコツ山と呼ばれたようです!!
南風原町の中心部に位置する黄金森は、古くから周辺住民の生活に密接に関わってきた場所でした。
黄金森には周辺地域の喜屋武・本部・照屋などの地域の発祥の地とされ、森の中にも拝所が残っています。
そのような聖地である黄金森でしたが、沖縄戦中は大規模横穴式の人工壕が多数構築されました。
この人工壕は沖縄陸軍病院が使用して野戦病院としていました。
この中では軍医・衛生兵・看護婦の他、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」が活動していました。
黄金森の中に「喜屋武シジ」という場所があります。
この場所は琉球王国時代、南風原間切が納税を完納した祝いの宴会などを行った場所とされています。
そのようなめでたい場所でしたが、沖縄戦中には喜屋武シジは監視所として使用され、その名残として小さな塹壕も残されています。
喜屋武シジは黄金森南側では一番高い場所であり、「シジ」というのも地域の方言において「一番高い」という意味がありました。
高い場所ということもあり、日本軍は見張り場所として使用したようで、周辺には日本軍が構築した交通壕が残っています。
また、1994年には旧日本軍兵士の埋葬骨や「大谷」という名字入りの万年筆等104点の所持品が喜屋武シジにて発見されています。
戦後の喜屋武シジには人骨が散乱していたため、喜屋武シジ周辺は「ガイコツ山」と呼べれる程でした。