名称 | 第62師団野戦病院 棚原分室,棚原野戦病院 | |||
住所 |
〒903-0126
沖縄県中頭郡西原町翁長 |
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解説 | 西原町翁長の丘陵にある野戦病院壕跡。 崩落が進んでおり、立ち入り禁止の看板が立っている。 この一帯には独立歩兵第11大隊が配置されていたとされる。 |
難度 | ||
C(分かりにくい) |
沖縄県南部に西原町があります。
この場所はかつての第32軍の司令部があった首里とも近く、運玉森という激戦があった場所からも目と鼻の先にある町です。
あまり名前に挙がらない西原町ですが、いくつもの戦争遺構が残っています。
その一つに「第62師団野戦病院棚原分室」があります。
第62師団は現在の中国山東省にて編成された部隊で、沖縄戦時には藤岡武雄中将が師団長の部隊です。
主に大陸方面の作戦に参加・転戦していき、1944年8月に現:沖縄県那覇市に上陸して沖縄守備軍である「第32軍」の隷下となりました。
沖縄上陸後は第9師団の台湾転出の為に配置変更されながらも、敵軍との戦闘では沖縄戦では代表的な激戦地である「嘉数高地」や「前田高地」をはじめ、南部の主陣地である牧港・嘉数・我如古・和宇慶のラインで善戦しました。
西原町の棚原はこれらの東側に位置しており、棚原分院付近には独立歩兵第11大隊が配置されていたようです。
沖縄キリスト教学院大学近くにある丘陵の裾野に壕があります。
かねてから関係者らにより調査や遺骨収集が行われており、同時に崩落も進んでいることから行政に対して保存・整備の要望がされているようですが、今のところ具体的な予定は立っていないようです。
✅第62師団野戦病院 棚原分院(棚原野戦病院)
あぜ道から数メートルの場所に壕の入口がありました。
かつては草木が伐採されていなかったので、壕の入口も分かりにくかったですが、現在は周りの草木が整備されているのであぜ道から壕口が見えます。
壕口には大きな木が覆いかぶさるように生えています。
✅立入禁止
壕口には立ち入り禁止の看板があります。
キリスト教大学の名前があることから、この付近は大学の所有地なんでしょうか。
来るまではてっきり町名義の立ち入り禁止だと思っていました。
大學の所有地ということなら無下に立入禁止の看板を無視できないので、立ち入らないで写真を撮ってみます。
こういうときに自撮り棒はとても便利です。
壕口は匍匐前進でやっと入れるくらいしか開口していません。
棒を壕口に突っ込み、ライトで照らしながら撮影します。
✅内部
壕内部を動画で撮ってみます。
ライトで照らしたからか、何匹化のコウモリが数匹飛び交っています。
壕で勤務していた女性のインタビューによれば、この壕は入口が三箇所のE字型の壕になっており、医務室・井戸・ベッド代りの板が地面に敷いてあって患者を寝かせていたそうです。
中には200人程の患者がいたとのことです。
Youtubeに投稿した動画にも図を載せているので、もしよければご覧ください🐶
補助看護師として付近に住む女性が勤務したとのことで、学徒隊はいなかったようです。
ちなみに第62師団野戦病院の本部ともいえるナゲーラ壕には、県立首里高等女学校の生徒により構成される「瑞泉学徒隊」が動員されていました。