
棚原陣地壕
今回は沖縄県中頭郡西原町棚原に残る「棚原陣地壕」だべ


お墓の中に残る壕ですね!
沖縄県中頭郡西原町棚原には「棚原グスク」というグスク跡があります。
現在はグスク周辺にはお墓が立ち並び、グスク跡というよりも墓地群というイメージが先行してしまいます。
そんな墓地が立ち並ぶ丘陵にも日本軍が構築したとされる壕が現存しています。
棚原高地東側斜面の墓地群を抜け、廃屋と不法投棄のゴミを超えていくと壕があります。


資料によれば、この一帯の壕の構築者は第62師団工兵隊とされているようです。
工兵隊の役割は壕の構築をしたり、通信設備の整備を行ったりなど、縁の下の力持ち的な役割を担っていました。



通路は1mの幅も無く、すれ違うのも少しキツイくらいです。
高さは中腰で進める程度なので1.5mくらいでしょうか。
通路を15m程進むと少し広くなっています。
大体大人5人が無理なく待機できる程度。
一部は30㎝ほど高くなっています。
その先には2つの道が枝分かれしていますが、一方は土砂の崩落により埋まり、もう一方は直ぐに行き止まりになっています。




この壕を使用していた部隊などはハッキリとしませんが、この一帯での戦闘に参加していた「第62師団歩兵第63旅団独立歩兵第12大隊」が使用していたかもしれません。
この部隊は「賀谷與吉」大佐(死後少将)が指揮していた為、「賀谷支隊」とも呼ばれます。
賀谷支隊は米軍上陸後、日本軍の本陣地である嘉数・前田周辺まで敵軍を誘導する「遅滞戦闘」を指揮したことで知られています。
また、5月初旬の日本軍一斉攻撃の際には、「第24師団歩兵第32連隊第1大隊」がこの周辺まで進軍しています。
もしかしたら、この壕も使用していたかもしれませんね。