クラガー
今回は沖縄県糸満市宇江城にある「クラガー」だべ
今でも水が湧いているみたいですね!
沖縄県糸満市は沖縄戦末期においては、主戦場となった場所でした。
首里に司令部を置いていた第32軍の司令部が陥落した5月末以降、各部隊も南部へ撤退して南部にある丘陵地などに再度陣地構築を行いました。
今回の「クラガー」も、首里陥落後に「第24師団司令部壕」として使用されるようになりました。
「クラガー」は元々は周辺住民の水汲み場として使用されていた場所でした。
現在になっても内部には水が流れています。
クラガーの隣には「山雨の塔」が建立されています。
名称の由来の一説には、「第24師団の通称号が「山」であり、師団長の名前が「雨宮巽」であるので頭文字を取って「山雨之塔」という名前にした」という説があります。
また第24師団隷下部隊である「歩兵第22連隊」が軍旗をここで奉焼したとされており、「歩兵第22連隊軍旗奉焼之地」碑も建立されています。
沖縄・奄美諸島の防衛を任された「第32軍」、そして主に沖縄本島の防衛にあたった所属部隊が第62師団・第24師団・独立混成第44旅団でした。
「第24師団」という部隊は、1939年に遠く満州の地で国境警備師団として生まれました。
沖縄にやってきたのは1944年。
当初は沖縄本島中部に配置されていましたが、同じく沖縄に配置されていた「第9師団」が台湾方面に移駐してしまった為に、1994年12月に糸満市を中心とする南部地域にやってきます。
沖縄戦時での第24師団の師団長は「雨宮巽」中将。
隷下の歩兵部隊には、歩兵第22連隊・歩兵第32連隊・歩兵第89連隊があり、その他輜重兵第24連隊や工兵部隊、2つの野戦病院の部隊等が隷下部隊にはありました。
南部に移動してきた第24師団の最初の司令部は糸満市与座の丘陵内にありました。
与座の司令部からクラガーに移動してきたのは6月初旬から中旬頃のようです。
クラガー内部は拝所になっています。
階段を降りていくと拝所と井戸にたどり着きます。
「日本軍最後の抵抗拠点の一つとなった自然壕」
糸満市HPより引用
宇江城集落の西側、モクマオウの木立の中に慰霊碑「山雨の塔」が立つ。
その下に自然洞穴のクラガーの出入り口がある。壕の出入り口付近から水が湧き出している。
もともと住民が水汲み場として利用していたこの壕を、第24師団が陣地として利用。
首里陥落後は第24師団司令部が移動してきており、宇江城一帯は日本軍最後の抵抗拠点の一つとなる。
1945年6月28日、壕入り口を米軍が爆破。
30日、師団長の雨宮中将がこの壕で自決。軍旗の奉焼も行われた。
この地に司令部を移した第24師団でしたが、度重なる馬乗り攻撃や入口を破壊されるなどから、師団長である雨宮巽中将と将兵らは自決しました。