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うるま市勝連平敷屋に残る「平敷屋砲台跡」

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平敷屋砲台跡

名称 平敷屋砲台
住所 沖縄県うるま市勝連平敷屋
解説 勝連半島の先端、平敷屋地域の丘陵に残る高射砲台跡地。
1941年に中城湾臨時要塞の一つとして構築され、4ヵ所の砲台跡地が残る。
八八式七糎野戦高射砲の配備を想定としていた。
難度
C

今回は沖縄県うるま市勝連平敷屋に残る「平敷屋砲台」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

4基の砲座が残ります!!

沖縄県の勝連半島の先端に「平敷屋」という地域があります。
「ホワイトビーチ」という米軍施設が隣接する平敷屋に、かつての日本陸軍の砲台跡「平敷屋砲台」が残っています。

平敷屋砲台を使用していたのは「中城湾臨時要塞重砲兵連隊」の第3中隊とされます。
中城湾臨時要塞は1922年に計画されたが中止され、1940年代に再度計画された沖縄の中城湾防衛のための陸軍の要塞です。この中城湾臨時要塞と同時に、「イリオモテヤマネコ」が知られる西表島の「舟浮」も「舟浮臨時要塞」も同時に計画されています。

中城湾臨時要塞の部隊は、司令部・連隊本部:与那原、第1中隊:津堅島、第2中隊:伊計島、第3中隊:平敷屋、第4中隊:那覇が配置されます。その後、第32軍が沖縄にやってくる頃には「重砲兵第7連隊」と改称され、第2中隊・第3中隊は知念・那覇市小禄へ配置転換第4中隊は廃止されていました。

平敷屋砲台跡

平敷屋砲台の砲座は4基残されており、第1砲座と第2砲座、第3砲座と第4砲座はそれぞれ交通壕で結ばれています。
現在はクワズイモなどの樹木に浸食されており、かつての面影は砲座側面に残る弾薬庫と擁壁くらいになります。

第4砲座では土台のコンクリートもみられる。

コンクリートの残骸

砲座のつくりから88式7糎高射砲が据えられていた可能性があると、沖縄県立文化財センターの資料に記載があります。

第1砲座

第2砲座

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ポチ太郎

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