黒しばわんこのおさんぽガイド

沖縄県中頭郡読谷村の掩体壕(Bunker)

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ポチ太郎
今日のお散歩スポットは沖縄県中頭郡読谷村にある掩体壕だべ

ハチ公
掩体壕の隣には「義裂空挺隊玉砕の地碑」もあります!!


1943(昭和18)年、旧日本軍によって沖縄北飛行場建設が計画・実施された。その翌年、軍用機を攻撃から保護する施設として建設されたのが掩体壕である。
証言によると、ドラム缶を積み上げ、その上に土を盛って叩き固め、半円状の原型を造り、セメント袋をかぶせてコンクリートを流し込み、十分に乾燥したところで中のドラム缶や土を取り出すという方法で造られたと言われている。
飛行場跡一帯には、1978(昭和53)年頃まで7基の掩体壕が残っていたが、現在はこの1基のみとなっている。
掩体壕は、この地が旧日本軍の飛行場であったという史実と、沖縄戦を伝える生き証人として、2009(平成21)年1月22日に村指定史跡(沖縄戦に関する史跡)に指定された。

【規模:幅約20m,奥行約10m,高さ約5m】
読谷村教育委員会2018年設置

Bunker

Construction of the Okinawa Kita(North)Airfield was planned and executed by the former japanese Army in 1943.The following year.bunkers were built to protect military aircrafts from attack.According to testimonies,the bunkers were built to protect military aircrafts from attack.according to testimonies,the bunkers were built by stacking drums and covering them with compacted soil to form a dome,then placing cement bags over the dome,pouring concrete,and removing the drums and soil after the concrete cured.
there were seven bunkers remaining in the airfield area until 1978,but only this one remains today.
the bunker was designated a historical site by Yomitan Village on January 22,2009 as testament to the battle of Okinawa and the fact this location was once an airfield of the japanese Army.

【Dimensions:approx.20m wide,approx.10m long,approx.5m high】

鉄筋の使用されていない掩体壕のため、風化も激しいので内部が鉄筋で補強されています。

沖縄県中頭郡読谷村には沖縄北飛行場(読谷山飛行場)が建設され、飛行場滑走路の北の端に飛行機の格納庫として掩体壕が造られました。
掩体壕は中身のくりぬかれたかまぼこのような形をしていて、中に航空機を収容することで敵機からの攻撃を防ぐものです。
当初は10基ほどの掩体壕が造られたようですが、崩壊や解体のため1基しか残っていないようです。
千葉県の掩体壕の建造には鉄筋などが使用されたようですが、戦争末期においては資材の不足からこの掩体壕の建造には使用されていないようです。そのため現在では風化が進んで倒壊することを防ぐ為、中から鉄筋で補強されています。

ポチ太郎
屋根の部分は草が生えています。本来は屋根全体に草木を被せて上空から掩体壕と悟られないようにカモフラージュします。

ハチ公
義裂空挺隊は占拠されていた嘉手納飛行場と読谷飛行場の奪還への決定打を与えるために戦った空挺部隊です!1945年5月24日には読谷飛行場へ強行着陸、駐機場の飛行機を破壊するなどが求められました。しかしそれは航空機での特攻と同様に助かる見込みのない捨て身の攻撃でした。

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ポチ太郎

ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!