85高地
今回は沖縄県宜野湾市真志喜に残る「85高地」だべ
米軍からはカクタスリッジと呼ばれました!!
1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸し沖縄での地上戦がスタートしました。
賀谷支隊による遅滞戦闘によって、本島中南部に構築した日本軍主陣地帯へ米軍を誘導、4月5日頃から前進陣地において戦闘が始まりました。
現在の沖縄県宜野湾市にある嘉数高台公園北側付近に85高地がありました。
海抜が85mであることから日本軍は85高地、米軍側からはカクタスリッジと呼称されます。
今は普天間飛行場となってしまい、実際に足を踏み入れることはできなくなっています。
また飛行場建設時に土砂が切り崩されているので、今と昔の85高地は変化しています。
85高地でも4月5日頃から戦闘が開始されました。
この地を守備していたのは原宗辰大佐率いる独立歩兵第13大隊第3中隊・第4中隊で、米軍の戦車攻撃を受けつつも善戦します。
しかしながら、7日の夜には陣地の保守が不可能と判断し、残存兵は南側の嘉数高地まで撤退していきます。
以降、地獄とも称される嘉数高地の戦いが巻き起こっていきます。