芙蓉の塔
名称 | 芙蓉の塔 | |||
住所 | 鹿児島県曽於市大隅町月野1946 | |||
解説 | 戦時に存在した岩川飛行場から沖縄方面に飛び立ち散華した105名の御霊を祀る。 かつての滑走路の端に建立されている。 |
難度 | ||
A |
今日は鹿児島県曽於市に建つ「芙蓉の塔」だべ
ポチ太郎
ハチ公
曽於市(そおし)は県内でも山間部にあります!
鹿児島県の大隅半島、中央部の山間部に「曽於市(そおし)」があります。
自然に囲まれた場所で、柚子ややごろうスイカが特産品の地です。
戦時、この場所にも軍の施設が存在していました。
その名は「岩川飛行場」。
山間部のこの地から沖縄方面に芙蓉部隊が飛び立っていました。
岩川飛行場の構築が開始されたのは昭和19年(1944)でした。
翌20年(1945年)5月頃にとりあえずの完成となった岩川飛行場は、予定の滑走路は3本でしたが終戦に至るまで1本の滑走路で運用し、残りの滑走路は完成しませんでした。
空襲により狙われることを防ぐために、昼間は滑走路に芝を敷いて10頭程の牛を放牧したり、移動式の家屋や樹木を設置することで徹底的にカモフラージュしたおかげで、米軍による空襲などは受けなかったようです。
✅岩川飛行場
✅芙蓉の塔
✅芙蓉の塔
この地を使用したのが「芙蓉部隊」と呼ばれる部隊でした。
この部隊は第131航空隊所属の戦闘804飛行隊、戦闘812飛行隊、戦闘901飛行隊の3つで構成され、美濃部正少佐が指揮を執っていました。
この部隊の主な戦闘スタイルは夜襲でした。
使用した航空機は零式艦上戦闘機52型、艦上爆撃機「彗星」11型・12型、彗星には夜間戦闘機「月光」に見られるような「斜銃」も付けられていました。
「芙蓉の塔」には、沖縄方面に飛び立っていった戦没者105名の御霊が祀られています。