仏の前
今回は南風原町喜屋武に残る「仏の前」だべ
「フトゥチヌメー」と読むようです!!
南風原町の中心部に位置する黄金森は、古くから周辺住民の生活に密接に関わってきた場所でした。
黄金森には周辺地域の喜屋武・本部・照屋などの地域の発祥の地とされ、森の中にも拝所が残っています。
そのような聖地である黄金森でしたが、沖縄戦中は大規模横穴式の人工壕が多数構築されました。
この人工壕は沖縄陸軍病院が使用して野戦病院としていました。
この中では軍医・衛生兵・看護婦の他、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」が活動していました。
黄金森の中に「仏の前」という場所があります。
戦前には旧暦9月9日の重陽の節句などのお祝いの行事を行う場所として使用されていましたが、戦争が始まると武運長久といった戦争に関する祈願を行う場所に変貌してしまいました。
仏の前(フトゥチヌメー)
案内看板より引用
仏の前は、旧暦9月9日の重陽の節句などのお祝いの行事を行う場所で、大切な拝所のひとつです。そのような場所も戦時中においては、戦争に関する祈願を行う場所になっていきました。
日本軍が1937(昭和12)年に南京、1942(昭和17)年にシンガポールに侵攻・攻略した時は、全国的な戦勝祝いに呼応して、字喜屋武でも青年会が中心となり軍靴を歌いながら仏の前などを廻ったそうです。また、出兵兵士の武運長久を祈願する場所でもあり、喜屋武の武運長久祈願は毎月1日・15日の朝に、出兵兵の家族と親戚・字の役員などがそろって、字内の拝所を廻って出兵兵士の安全を祈りました。
しかし、こういった祈願などは、沖縄にも戦争の影が近づいてくると、すべて行われなくなっていきました。