黒しばわんこの戦跡ガイド

糸満市大里に建つ「沖縄兵站慰霊之碑」

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沖縄兵站慰霊之碑

名称 沖縄兵站慰霊之碑
住所 沖縄県糸満市大里
解説 県道沿いに建立された慰霊塔。
第49兵站地区隊本部をはじめとした特設第一旅団の部隊を祀る。
難度
A

今回は沖縄県糸満市大里に建立する「沖縄兵站慰霊之碑」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

軍の物資を運んだ後方部隊の慰霊塔です!!

沖縄県糸満市大里の県道沿いに「沖縄兵站慰霊之碑」が建立されています。
この慰霊碑は沖縄戦時に編成された特設第1旅団(特編第2旅団)を祀る慰霊碑です。
この部隊は沖縄戦時、物資や兵員輸送を担当した後方支援部隊でした。

特設第1旅団(特編第2旅団)
・第49兵站地区隊本部(球5896部隊)
・陸上勤務第72中隊(剣持隊)
・陸上勤務第83中隊(森田隊)
・特設水上勤務第103部隊(市川隊)
・特設水上勤務第104部隊(中山隊)
・独立自動車第215中隊(山口隊)
・独立自動車第259中隊(大島隊)
・球1616自動車中隊(西山隊)
・球1616航空兵站(具志堅隊)
・沖縄防衛中隊(友寄隊)
・沖縄出身従軍軍属
・那覇停車場司令部(県鉄道)

所在地:糸満市大里
建立年月日:昭和46年10月10日
管理団体:沖縄兵站慰霊之塔奉賛会

第49兵站地区隊本部、各陸上勤務中隊、水上勤務中隊、自動車中隊、現地採用各軍属は昭和20年3月、米軍の侵攻に備え、兵器、弾薬、装備、食糧や兵員の輸送業務、陣地構築の任務にあたるため特設第1旅団として編成されたが、米軍との戦闘で多くの将兵が戦死した。

「県営 平和祈念公園」より引用
沖縄兵站慰霊之碑

第二次世界大戦最後の且つ日本国土上唯一の激戦上となりたる沖縄本島に在りて、第四九兵站地区隊本部、及び麾下各陸上勤務中隊 水上勤務中隊 自動車中隊竝に現地採用各軍属は昭和十九年八月より米軍の侵攻来撃に備え、兵器、弾薬、装備、糧秣及兵員の輸送業務竝に陣地構築の任務を遂行しつつありたる処昭和二十年三月二十四日米軍上陸と同時に特編第二旅団を編成し、之に現地召集防衛中隊を指揮下に入れ、第32軍司令部直轄兵団として、戦列に加わり全将兵もとより従軍志願せる軍属に至る各員は祖国防衛の難に身命を挺しつつ各戦線に赴き、米軍の尨大なる戦力、且つ米軍が太平洋戦線、戦局の決定を賭しての、陸海空総力戦略をつくしたる、熾烈死斗猛攻に対し、日夜勇戦敢斗の限りを盡しつつ、緑の山野に殉国の血を染め、故国に想ひを馳せつ祖国の再興を念ひ乍ら遂ひに散華せられ、逝きぬ。
時に同じ砲煙弾雨のもとで死生を倶にと誓ひし乍らもいかなる運命のもとにてか奇しくも生き永らえし者幾余名本土と沖縄とに在りて志を同じゆうして逝き戦友の英魂を永こしなえに慰ぐさめ弔わんものと、その慰霊碑建立の、悲願を樹て、爾来二十有余年、一日として、忘却せざるなし、警願、努力の積年、幾星霜、遂ひに、ここに御遺族各位を含めての、英霊追慕の至情は、結実し、ここゆかりも深き、南部戦線の一画に、一人一人の微衷と心魂とを篭め尽くせる「沖縄兵站慰霊之碑」建立の本願を果しぬ。茲にその全英魂を招き、祀り弔う日を迎え得たり。今、静かに往時を偲ぶとき、戦友の英姿が、俤げが瞼に映じきたり、そこここより、戦友の在りし日の声聞こゆるが如きを、感じ、転た血涙、新らたなるものを覚ゆ。冀くわ、霊魂来たり、亨け、この地に、永こしえに、安らけく、鎮ませ給え。

昭和四十六年十月十日 沖縄兵站慰霊之碑建立 奉賛有志一同

背後の壕跡

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