清末隊陣地壕
今回は沖縄県国頭郡本部町大嘉陽に残る「清末隊陣地壕」だべ
八重岳周辺には3000人の兵隊が配置されていました!
沖縄県北部にある本部町の山間部に「清末(キヨスエ)隊陣地壕」が残っています。
清末隊は「独立混成第44旅団第2歩兵隊砲中隊」で、隊長は清末 一義中尉であったことから「清末隊」とも呼ばれます。
清末隊は、41式山砲(ヨンイチシキサンポウ)という火砲を4門を備えていました。
「41式山砲」は、山岳地帯などで加農砲や榴弾砲を使用するのに難がある為に作られました。
分解することが可能で、人馬によって移動できる比較的コンパクトな火砲です。
歩兵が使用したことから’’歩兵砲’’とも呼ばれたり、歩兵連隊に配備されたことから「聯隊砲」と呼ばれることもあります。
八重岳の「三中学徒之碑」近くから大嘉陽林道に入ることが出来ます。
林道を車で約10分、2.2㎞ほど進むと「清末隊慰霊之塔」と「陣地壕」に到着します。
山の西側、県道244号方面からもアクセスできます。
清末隊慰霊之塔の南側に「清末隊の陣地壕」が残っています。
基本的に手付かずで草が生え放題ですが、草刈りがされている時もあります。
「清末隊の陣地壕」はかつて70mほどの長さの人工壕でしたが、現在は内部で崩落しています。
清末隊は米軍と戦闘を繰り広げましたが、最期の切込攻撃を行いました。