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本部町大嘉陽に残る「清末隊陣地壕」

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清末隊陣地壕

名称 清末隊陣地壕
住所 〒905-0223
沖縄県国頭郡本部町大嘉陽
解説 山間部に残る陣地壕跡。
名前は部隊の隊長であった「清末 一義」中尉から。
かつては70mほどの長さがあり、壕も貫通していたが現在では途中で崩落している。
難度
C(分かりにくい)

今回は沖縄県国頭郡本部町大嘉陽に残る「清末隊陣地壕」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

八重岳周辺には3000人の兵隊が配置されていました!

沖縄県北部にある本部町の山間部に「清末(キヨスエ)隊陣地壕」が残っています。
清末隊は「独立混成第44旅団第2歩兵隊砲中隊」で、隊長は清末 一義中尉であったことから「清末隊」とも呼ばれます。

清末隊は、41式山砲(ヨンイチシキサンポウ)という火砲を4門を備えていました。
「41式山砲」は、山岳地帯などで加農砲や榴弾砲を使用するのに難がある為に作られました。

分解することが可能で、人馬によって移動できる比較的コンパクトな火砲です。
歩兵が使用したことから’’歩兵砲’’とも呼ばれたり、歩兵連隊に配備されたことから「聯隊砲」と呼ばれることもあります。

清末隊慰霊之塔の看板。
大嘉陽林道沿いにあります。
清末隊之塔
1959年11月7日建立

八重岳の「三中学徒之碑」近くから大嘉陽林道に入ることが出来ます。
林道を車で約10分、2.2㎞ほど進むと「清末隊慰霊之塔」「陣地壕」に到着します。
山の西側、県道244号方面からもアクセスできます。

故陸軍中尉清村敏治之碑
清末隊慰霊之塔に隣接しています。
蔦井隊の壕跡
呼び方は小隊長の「蔦井對馬」中尉より。

清末隊慰霊之塔の南側に「清末隊の陣地壕」が残っています。
基本的に手付かずで草が生え放題ですが、草刈りがされている時もあります。

壕入口へ行くために通る岩の隙間。
人1人分の隙間です。
岩の隙間を抜けると獣道があります。
壕に向けて急斜面になります。
縄が取り付けてあります。

「清末隊の陣地壕」はかつて70mほどの長さの人工壕でしたが、現在は内部で崩落しています。

岩の隙間から土が流れ込んでいます。
崩落して行き止まり。

清末隊は米軍と戦闘を繰り広げましたが、最期の切込攻撃を行いました。

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ポチ太郎

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