黒しばわんこの戦跡ガイド

糸満市糸満に残る「糸満防空監視哨跡」

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糸満防空監視哨跡

名称 糸満防空監視哨跡
住所 沖縄県糸満市字糸満
解説 糸満市を見渡せる小高い丘。
さんてぃんもう公園に整備されており、公園の一角に「国旗掲揚台」や「防空監視哨跡」などの遺構が残されている。
難度
A

今回は沖縄県糸満市に残る「糸満防空監視哨跡」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

土台が残っていますね!

沖縄戦末期、総司令部を本島南部の摩文仁に移した第32軍。
以降は沖縄本島南部が戦場となりました。

現在、沖縄県糸満市には住宅とサトウキビ畑が広がる一方、多くの戦争関連の遺構が残されています。
その一つに「糸満防空監視哨跡」があります。
防空監視哨は飛んでくる飛行機が日本の飛行機か外国の飛行機かを見分けたり、時には海上に現れた艦船や潜水艦を識別するために設置されました。

防空監視哨跡は山巓毛(さんてぃんもう)公園の中に土台だけ残されています。
この公園は高台になっており、現在でも周囲を見渡すことができます。
かつてはこの高台で飛んでくる飛行機の識別を行われていたのです。

糸満防空監視哨跡

糸満防空監視哨
山巓毛(さんてぃんもー)の頂上にある正八角形のコンクリート製台座は、戦時中の防空監視哨(かんししょう)の跡です。防空監視哨、上空に飛来する飛行機を速やかに発見し、敵・味方を識別して迅速、確実に防空軌間に通報するための施設で、空襲警報の発令など、防空上の判断の基礎となったものです。日本軍は米軍に比べ、レーダー開発が非常に遅れ、そのため人間の視覚聴覚によって敵機を発見する、防空監視を重要視していました。沖縄県では、防空監視隊本部を県庁に設置して県知事が統監となりましたが、実際の運営は警察が中心でした。また県内には11カ所の監視哨があり、糸満防空監視哨には哨長・副哨長などを含め21人が勤務していました。防空監視は18人が3班に分かれ、3交代制で24時間監視していました。1944(昭和19)年の10・10空襲の際には南東方向に米軍艦載機の大編隊を発見し、監視隊本部へ報告しましたが、空襲警報の発令は行われませんでした。

案内看板より引用

糸満防空監視哨跡の隣には折れた石碑があります。
これは「御大典記念山巓毛改修碑」と呼ばれます。

御大典記念山巓毛改修碑

この石碑は地上戦が始まる以前、敵の攻撃目標になるとのことで日本軍によって倒された物です。
土台などに残る損傷は戦争によって出来た傷跡です。

改修碑の左側には国旗掲揚台も残されています。

国旗掲揚台

「皇太子殿下御誕生記念昭和九年八月一日建立」の文字が刻まれています。
鉄筋コンクリート製で、戦争の弾痕が各所に残されています。

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ポチ太郎

ポチ太郎

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