黒しばわんこの戦跡ガイド

長崎市立山に残る「長崎県防空本部跡」

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長崎県防空本部跡

名称 長崎県防空本部跡,立山防空壕
住所 長崎県長崎市立山
解説 住宅街の中に残されている防空壕。
空襲時、県知事などの要人がここに集まり、指示を出していた。
難度
A

今回は長崎県長崎市立山に残る「長崎県防空本部跡」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

住宅街の中にあります!!

長崎県長崎市の長崎歴史文化博物館の隣に戦中の防空壕が残されています。
この壕は長崎県防空本部跡立山防空壕と呼ばれています。
空襲の時、この壕に県知事や警察部長などの要人が集まり指揮を執っていたようです。

長崎県防空本部跡

防空壕は、戦時下、敵の航空機による攻撃(空襲による爆弾など)から避難するために地下に造られた施設で、第二次世界大戦時、大規模空襲が現実のものとなり、空額の危険から逃れるため、学校の校庭、個人宅内などに数多く造られました。この長崎県防空本部跡〈立山防空壕)は、戦時中、空襲警報が発令されると、長崎県知事らが駆けつけて警備や救護の指揮に当たっていた場所で、壕の中には知事室や参謀長室、防空監視隊本部が配置されていました。
 1945年8月9日、知事がこの防空本部に部下を招集させ、会議を行おうとした矢先に、原子爆弾がこの壕から約2.7キロメートル離れた長崎市北部上空でさく裂しました。原子爆弾さく裂後まもなく、この場所から想像を絶する被害の大きさを伝えました。
 この長崎防空本部跡は、原爆被爆当時の状況を伝えるものとして長崎市の被爆建造物等に登録されており、戦争や核兵器の廃絶を願い、平和を尊ぶ気持ちを大切にする場所として、平成17年度に壕内の安全性を確保するための補強工事や配電工事などの保存整備を行い、一般公開することとなりました。

案内看板より引用

2023年1月時点では入壕無料でした。

内部図

かつての構造を展示したケース。
木材にモルタルが塗られていた。

展示ケース横の通路仕切り壁は、安全性を確保するための補強工事により、現在の広報で新しく設置した壁です。展示ケースの中には、原爆投下時からこの場所にあった通路仕切り壁の一部を標本として展示しています。当時は、物資不足のために鉄筋が入手しにくかったということで、木材の構造物を芯に、外側にモルタルを塗って壁がつくられていました。その壁は、中の木材部分が腐朽して崩れる状態となっていました。

案内看板より引用

流し台

仕切り壁
煉瓦にモルタルが塗ってあります。

かつての設備の名残

奥に通路が続く

各部屋を繋ぐ通路

通風孔

知事室隣にある立入禁止の部屋

知事室

太平洋戦争中この地に設けられていた”’長崎県防空本部は、県の防空施策の中心的役割を担うところで、空襲警報が発令されると、長崎県知事ら要員が集まり、警備や救援・救護等各種応急対策の式、連絡手配に当たっていた所であった。壕の中には長官(知事)室や参謀室、伝令室、防空監視隊本部、同盟通信社の無線通信室等が配置されていた。
  3日前広島に投下された「新型爆弾」の惨禍の情報により、長崎県における緊急対策を協議するため、1945年(昭和20年)8月9日午前、永野若松知事が部下幹部とこの防空壕の一室で会議を行おうとした矢先に、米軍機から投下された「新型爆弾」(原子爆弾)がさく裂した。壕内では電灯が消え、入口の戸は爆風で吹き飛ばされた。このとき原子爆弾がどこに落ちたのかまだ分からなかった。
 原子爆弾がさく裂したのはこの壕から約2.7キロメートル離れ、山の裏側に当る長崎市北部の松山町上空であった。地形の関係から爆心地帯浦上一体の惨禍の状況をまだ知ることができず、長崎駅以南からの情報を基に「広島の被害に比較し被害の程度軽微にして死者並に家屋の倒壊は僅少なり」と第1報を送った。しかし、その後状況が次第に判明するにつれ逐次詳報を送りつづけ、「被害は全市に及び死傷者5万人以上か」(第5報)、「長崎駅以北は全然存在する家屋なし」(第8報)など第11報までの防空情報を九州地方総監、国の防空総本部長官などへ電報で送った。
 またそれと同時に市外各地に救援、救護の手配を指令し、県外にも応援を求めた。

案内看板より引用

知事室にある棚

永野若松 長崎県知事の証言
皆を知事室に集め、「それでは」と言いかけたところに、佐世保市長の小浦君が来て、室に入れたら、「広島はエライことになりましたね」という。「今、ちょうど、そのための会議を始めようとしたところだ」と言った途端に、電灯が消えた。壕の外に出て見た。遥か向こうの浦上方面一面が、真黒な煙に包まれ、赤い火の手はまだ見えなかったが、濛々として大火事となっており、ずっと高いところまで雲のような煙が立ちこめていたのである。しかし、眼下の旧市内にはまだ何事も起こっていない。室に帰ると、すでにドンドン警察の報告がきていた。ピカッと光って大きな爆音が聞こえ、広島の新型爆弾らしいものが落ちたが、管内の被害は軽微、人畜に死傷はなく、全壊家屋もない。硝子窓はみな割れ、半壊家屋は若干あったが、概ね小破損の程度だという。しかし、よく考えて見ると、それはその筈であった。警察電話が通じ、すぐ報告できるような警察署からの第1報が、被害軽微、人畜に死傷なしとしてくるのは、もとより当然のことであった。しかし、ある程度のことは、爆発直後すぐに、つぎつぎと判っていった。

参謀長室

参謀室

原子爆弾さく烈直後に長崎県知事が防空総本部長官などへ送った電文
防空情報 第一報
1.本日一〇五三敵B29二機ハ熊本県天草方面ヨリ北進シ島原半島西部橘湾上空ヲ経て長崎市上空ニ侵入一一〇二頃落下傘附新型爆弾二個ヲ投下セリ
2.右爆弾ハ広島市ヲ攻撃セルモノ小型ト認メラレ負傷者相當アル見込ナルモ広島ノ被害ニ比較シ被害ノ程度極メテ軽微ニシテ死者並ニ家屋ノ倒壊ハ僅少ナリ

防空情報 第二報
敵機ハ長崎市ヲ爆撃セル後一一三〇頃北高来郡戸石村北方五粁ノ地点ニ落下傘附爆弾三個ヲ投下セルガ内一個ハ高度一〇〇〇米ニ於テ炸裂シ二個ハ不発ノ儘同村山林内ニ落下セリ尚同時刻頃東彼杵郡川棚町上空ニ於テ更ニ落下傘附爆弾二個ヲ投下セルモ海中ニ落下セル被害ナキ模様戸石村ノ被害ハ判明セザルモ調査中ナリ

防空情報 第三報
本日ノ長崎市空襲被害状況一五時現在左記ノ通ニ有之
1.一二時三〇分頃ヨリ市内各所ニ火災発生シ目下長崎駅前、大黒町、台場町、五島町、元船町、下筑後町、東上町、八千代町、坂上町、銭座町、稲佐町、竹ノ久保町、外浦町、大村町一帯火災発生延焼中ナリ
2.十五時現在迄焼失セル主ナル建物左ノ如シ
長崎県庁 長崎地方裁判所 長崎地方裁判所検事局 長崎区裁判所及同検事局 長崎日報社 西日本新聞支局 長崎医科大學
3.尚八千代町ヨリ以北浦上一帯ノ被害ハ相當死傷者アル模様ニシテ火災発生尚延焼中ニシテ詳細調査中

案内看板より一部引用

通信室

内部で見つかった遺品

内部で見つかった遺品

内部で見つかった遺品

連絡通路(立入禁止)
材料室へ続く。

材料室・技師待機場

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ポチ太郎

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