福岡聯隊の跡
今回は福岡県福岡市中央区に建つ「福岡聯隊の跡」だべ
福岡城内に碑があります!!
福岡城の下之橋御門近くに「福岡聯隊の跡」の碑があります。
かつて福岡聯隊とも呼ばれる「歩兵第24連隊」が福岡城を衛戍地としていました。
この碑は福岡城に歩兵第24連隊が存在していたことを示しています。
福岡聯隊こと歩兵第24連隊は1884年に編成されました。
編成地は小倉、通称号は剣、略称は「剣8703」です。
日清戦争から第二次世界大戦終了時まで存在していました。
かつて郷土の人々に福岡連隊として親しまれた歩兵第二十四連隊は、明治十九年八月十七日明治天皇から軍旗の親授をうけてこの地福岡城跡に創設された部隊である。
碑文より引用
尓来明治二十七八年日清戦役三十七八年日露戦役その他の事変に出動し、輝かしい武功をたて平時にあっては衛成地の信頼を厚くし、国連の伸張と社会の安寧とに多大な貢献をなした。
大正の第一次世界大戦においてはシベリヤに出征し、昭和の第二次世界大戦においては部隊の主力は満州に駐屯中でおったが、昭和十二年八月、第十八師団歩兵百二十四連隊、同十四年四月第三十七師団歩兵第二百二十六連隊、同三連隊、同十九年五月第百九師団吠え日第三百十二大隊同三百十四大隊等の諸部隊がつぎつぎに編成され、郷土部隊は遠く中南支・マレー・ボルネオ・ガダルカナル・ビルマ・雲南等の各地に転戦敢斗した。
第百九師団硫黄島部隊、第三十二軍の沖縄部隊は、ついに名を後世に残して玉砕した。
また国土防衛のための部隊が編成された南九州等に赴いて、護国の人に當ったしかるに昭和二十年八月十五日終戦の詔勅下るにおよび勇強を天下に誇った福岡連隊も一切の軍備撤廃にともない、創設依頼六十余年の歴史に終止符がうたれた。そして兵営の跡には平和台競技場その他の体育施設があいついで完備し、兵営の俤はほとんど滅失して往時を偲ぶよすがとなるものはすでにして数株の樹木のみという有様となった。まことに感慨無量なるものがある。ここに有志相謀り、福岡連隊の歴史を回顧し国事に殉じた戦友の英霊を慰めるために、記念碑一基を建立し事跡の一端を刻んでこれを後世に伝えることにしたところ、幸にも郷土各位の賛同をえて目的を達成することができた。
一同の感激これにまさるものはない、記して大方の厚意に甚深の謝意を表する次第である。
昭和三十八年五月三日 福岡連隊跡記念碑建設会